真琴つばさ
小档案 真琴 つばさ(まこと つばさ、1964年11月25日 - )は、日本の歌手、女優。元宝塚歌劇団月組トップスター。本名、保川 真名美(やすかわ まなみ)。 東京都品川区出身。マナセプロダクション系列でエフ・スピリット所属。射手座。宝塚時代の愛称はマミ(本名の短縮から)。 【出身地】 東京都 【誕生日】 11月25日 【血液型】 A型 【星座】 いて座 【身長】 168cm 【所属事務所】 エフ・スピリット 小简介 宝塚歌劇との出会いは小学校在学中で、「当時雪組男役スターであった麻実れいの存在を知り、東京宝塚劇場にも『丘の上のジョニー』を皮切りに、雪組公演を中心にたびたび足をはこんでいた」ことを真琴自身が話している。 中学・高校と実践女子学園ですごす。中学時代はバレーボールの選手だった。 大事件 1983年、宝塚音楽学校入学。第71期生。実践女子大学に内部進学し、入学式にも出席したが翌日が宝塚合格発表だった為、大学を1日で中退し宝塚音楽学校に入学した。宝塚音楽学校の入学式に遅れて到着し、生徒に連行されるようにして席に着く姿がゴールデンタイムのニュース番組で放映された。 1985年、宝塚歌劇団に入団。花組『愛あれば命は永遠に』で初舞台。同期に轟悠、愛華みれ、鮎ゆうき(俳優・神保悟志夫人)、稔幸らがいる。 同年、花組に配属。当時の花組には有力なスター候補がひしめいており、特に愛華みれ、香寿たつきには押され気味の状況であった。後に「暗黒時代だった」と語ったほどである。しかし1991年最後の『ヴェネチアの紋章』新人公演では、大浦みずきの口添えにより、悲願の初主役に抜擢された。 1993年、『ル・グラン・モーヌ』で宝塚バウホール公演初主演を果たした後、月組に組替え。男役スターとしての地位を確立した。『風と共に去りぬ』のスカーレット、『ミー・アンド・マイガール』のジャッキーなど、1年あまりに渡って女役での演技が続いた。当時のトップ男役天海祐希・久世星佳を盛り立てた。 1997年、前任者久世の退団に伴い、『EL DORADO』で月組トップスターに就任。当初の相手役は風花舞。 1999年、風花の退団により、新たな相手役として檀れいを迎える。中国公演や『LUNA-月の伝言-』でのアドリブなど、多彩なエンターティナーぶりを発揮。「THE 夜もヒッパレ」などへのテレビ出演も多数務めた。2001年、『愛のソナタ/ESP!』大劇場公演(※日程の都合上東京公演が先で大劇場が後)にて退団。 現在は歌手・女優として活躍する傍ら、バラエティ番組を中心に地上波テレビ番組出演もこなしている。 月組トップスター時代に中堅、若手の男役で結成された「シューマッハ」(メンバーは汐美真帆、大空祐飛、霧矢大夢、大和悠河)の名付け親でもある。